「あなたには悪いけど、日本政府は野蛮だっ!」。目を潤ませながら強い語気でこう言い放ったのは、40年以上、台湾出身日本兵とその遺族のために戦後補償問題に取り組み続けた林阿貞さんである。林さんの兄は先の大戦中の1944(昭和19)年、日本兵としてフィリピンに出征。1945(昭和20)年に山奥に撤退する際にそこで戦病死した。 林さんの兄ら台湾出身日本兵は、戦時中、同じ「日本人」として国に殉じた。その数は20余万、うち3万人以上が戦没した。 しかし戦後、日本は台湾を放棄し、台湾出身日本兵らは本人の意思に関わらず日本国籍が剥奪された。そして、日本政府からは「外国人」と見なされ、日本人としての補償は今日に至るまで受けられていない。加えて、戦後の台湾を占領したのは、台湾出身日本兵が「敵」として戦った中華民国・国民党政権。台湾人は命をかけて守ろうとした母国から見放され、かつての敵によって祖国を支配される「悲哀」の運命をたどることとなった。 林さんは遺族として、1970年代後半以来、民間の立場から台湾出身日本兵とその遺族に対する補償を求めて活動を始めた。 関係団体と協力して日本政府の総理府(現総務省)や厚生省(現厚生労働省)、衆参両議院議員への嘆願や陳情を繰り返した。日本に長期滞在すること計三年、往来も十数回に及んだ。しかし、そのほとんどがなしのつぶてだった。 というのも、日本政府は中華民国政府による認可のない団体は相手にせずという立場で林さんらの訴えに耳を傾けなかった。そこで、今度は中華民国政府に働きかけるも、この問題に無関心であり、団体の認可を得ることはできないままだった。「まるで日本政府と中華民国政府の間には密約があるよう」と、林さんは二つの政府への不信感をあらわにし、無視され、たらい回しされた当時を振り返る。 一方で、台湾出身日本兵らに一切の補償がない不条理に声を上げ、林さんらとともに立ち上がった日本人もたくさんおり、林さんは同志への恩義を今も忘れない。日本民主同志会の松本明重、極東国際軍事裁判で東条英機の弁護人を務めたことでも知られる元衆議院議長・清瀬一郎の子息である清瀬信次郎、弁護士の高木健一、また国会議員では板垣正、山中貞則、有馬元治、土井たか子など、林さんの名刺帳には当時、運動に寄り添ってくれた支援者の名前が並ぶ。 当事者や支援者らの長年の運動が実を結び
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