開館20周年式典集合写真(2021年1月16日) |
台湾南部・屏東県竹田にある池上一郎博士文庫は、今年開館20周年を迎えました。
小さな木造建築の入り口には「亜細亜最南端の日文圖書館」の看板がかかり、文庫内には2万冊近い日本語書籍が所蔵されています。
かつて日本時代の台湾に生まれ、日本語教育を受けた地元の日本語世代にとって、日本語に触れられる文庫は、人々の憩いの場でもあります。日本語世代の減少に伴い年々利用者も減少しているものの、最近は日本語を学んでいる地元の大学生や観光客などが訪れているそうです。
毎年1月には開館日である1月16日に合わせて式典が行われています。例年、日本からの参加者も多く、日台民間交流の拠点としての役割も果たしています。
文庫の名前にもなっている池上一郎博士は、戦時中、竹田に赴任した軍医で、現在の竹田国民小学校舎内にあった陸軍野戦病院の院長を務めた人物です。地元民から愛されていた池上博士のエピソードは今もなお地元で語り継がれています。
戦後、40年以上にわたって竹田国民小学で教職を勤めた宋天蔭さんによると、自身の教え子も幼少期に池上博士に治療してもらったことがあるそうです。教え子は檳榔樹に登って落ちて怪我をしてしまい、母親は池上博士のもとに連れて行きました。治療後、池上博士はお金を受け取ることはなかったといいます。池上博士は軍医でありながら軍人にとどまらず、退勤後には地元民への治療も快く応じていたそうです。当時、台湾では伝染病のマラリアが流行し、その特効薬のキニーネやアテブリンは非常に希少で高価でした。しかしそれらも無償で提供していたそうです。
また、ある日池上博士が自転車で走っていた際、醤油の行商人とぶつかってしまい商品の醤油が地面にこぼれてしまったことがあったそうです。池上博士はすぐに弁償しようとしましたが、その行商人は相手が池上博士だということがわかると、受け取ることはできないとしてお金を返したそうです。
地元民と積極的に交流し、親睦を図っていた池上博士が、竹田に滞在したのは1943年から終戦までの2年足らずですが、池上博士にとって竹田は特別な場所となりました。
戦後も池上博士は台湾との交流を続け、晩年に自身の蔵書を竹田に寄贈しました。早稲田大学留学時代に池上博士と親交のあった劉耀祖・池上文庫理事長は、池上博士への感謝と竹田での功績を称え、図書館として記念するため発起人として奔走しました。劉理事長によると、文庫設立の計画を池上博士に伝えると、池上博士は「当たり前のことを当たり前にしただけです」として自身の名前を冠することに遠慮がちだったそうです。しかし、劉理事長は「先生の『当たり前』は当たり前のことではありません」と返し、ご理解いただいたと言います。
こうして池上博士にとっての「第二の故郷」である竹田に、2001年1月16日、池上一郎博士文庫は開館しました。
そして、2021年1月16日、開館20周年記念式典が池上文庫で盛大に行われました。今年は新型コロナウイルスの影響で日本からの参加が叶わず、台湾在住者のみでの式典となりましたが、当日は日本人と台湾人の約80名が集いました。現地の大学で日本語を学ぶ学生がボランティアで運営に当たり、また地元の日本語世代の人々も参加するなど、世代を越えた老若男女が集う素敵な空間でした。加えて、当日実施したオンライン生配信には約50名が日本から参加しました。
式典では劉理事長はじめ、同文庫の王陽宗理事、台湾在住作家の片倉佳史さん、公益財団法人日本台湾交流協会の加藤英次所長がご挨拶をされました。
例年同様、日本語の民謡の合唱も行われ、『故郷』、『里の秋』、『台湾楽しや』の3曲を合唱しました。
日台民間交流のプラットホームとして、日台の絆を紡ぎ育み続ける池上一郎博士文庫。日本人と台湾人の結びつきがさらに深化していくことを願う人々が集う現場には今年も明るい声が響き渡っていました。
小さな木造建築の入り口には「亜細亜最南端の日文圖書館」の看板がかかり、文庫内には2万冊近い日本語書籍が所蔵されています。
かつて日本時代の台湾に生まれ、日本語教育を受けた地元の日本語世代にとって、日本語に触れられる文庫は、人々の憩いの場でもあります。日本語世代の減少に伴い年々利用者も減少しているものの、最近は日本語を学んでいる地元の大学生や観光客などが訪れているそうです。
毎年1月には開館日である1月16日に合わせて式典が行われています。例年、日本からの参加者も多く、日台民間交流の拠点としての役割も果たしています。
文庫の名前にもなっている池上一郎博士は、戦時中、竹田に赴任した軍医で、現在の竹田国民小学校舎内にあった陸軍野戦病院の院長を務めた人物です。地元民から愛されていた池上博士のエピソードは今もなお地元で語り継がれています。
池上博士が院長を務めた野戦病院跡地(現・屏東縣竹田國民小學) |
また、ある日池上博士が自転車で走っていた際、醤油の行商人とぶつかってしまい商品の醤油が地面にこぼれてしまったことがあったそうです。池上博士はすぐに弁償しようとしましたが、その行商人は相手が池上博士だということがわかると、受け取ることはできないとしてお金を返したそうです。
宋天蔭さん |
地元民と積極的に交流し、親睦を図っていた池上博士が、竹田に滞在したのは1943年から終戦までの2年足らずですが、池上博士にとって竹田は特別な場所となりました。
戦後も池上博士は台湾との交流を続け、晩年に自身の蔵書を竹田に寄贈しました。早稲田大学留学時代に池上博士と親交のあった劉耀祖・池上文庫理事長は、池上博士への感謝と竹田での功績を称え、図書館として記念するため発起人として奔走しました。劉理事長によると、文庫設立の計画を池上博士に伝えると、池上博士は「当たり前のことを当たり前にしただけです」として自身の名前を冠することに遠慮がちだったそうです。しかし、劉理事長は「先生の『当たり前』は当たり前のことではありません」と返し、ご理解いただいたと言います。
こうして池上博士にとっての「第二の故郷」である竹田に、2001年1月16日、池上一郎博士文庫は開館しました。
池上一郎博士文庫 |
そして、2021年1月16日、開館20周年記念式典が池上文庫で盛大に行われました。今年は新型コロナウイルスの影響で日本からの参加が叶わず、台湾在住者のみでの式典となりましたが、当日は日本人と台湾人の約80名が集いました。現地の大学で日本語を学ぶ学生がボランティアで運営に当たり、また地元の日本語世代の人々も参加するなど、世代を越えた老若男女が集う素敵な空間でした。加えて、当日実施したオンライン生配信には約50名が日本から参加しました。
式典では劉理事長はじめ、同文庫の王陽宗理事、台湾在住作家の片倉佳史さん、公益財団法人日本台湾交流協会の加藤英次所長がご挨拶をされました。
例年同様、日本語の民謡の合唱も行われ、『故郷』、『里の秋』、『台湾楽しや』の3曲を合唱しました。
劉耀祖・理事長 |
式典には台湾在住の約80名が集った |
毎年恒例の合唱も |
また昨年、劉理事長は、長年にわたる対日理解促進と日台交流親善の功績が讃えられ、旭日双光章を受章しました。そこで、式典当日は文庫内で叙勲伝達式も行われ、公益財団法人日本台湾交流協会の加藤英次所長より授与されました。
潘孟安・屏東県長もお祝いに駆けつけた |
日台民間交流のプラットホームとして、日台の絆を紡ぎ育み続ける池上一郎博士文庫。日本人と台湾人の結びつきがさらに深化していくことを願う人々が集う現場には今年も明るい声が響き渡っていました。
▼池上文庫公式Facebookページ
https://www.facebook.com/ikegamibunko
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▼池上文庫に関する拙稿
・屏東の池上文庫―日台の絆を紡ぎ育む小さな日本語図書館
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00819/
・屏東的池上文庫──滋育臺日深厚情誼的小型日文圖書館
https://www.nippon.com/hk/japan-topics/g00819/
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