10月10日は台湾では「国慶日」という名の祝日となっている。「10」が二つ続くことから双十節とも呼ばれている。いわゆる「建国記念日」の位置付けだが、これは台湾には関係がなく、「中華民国」に由来する記念日である。
中華民国は1912年1月1日に南京において成立した。それまで1616年から300年近く広大な中国大陸の地は清王朝が支配下に置いていた。しかし、王朝末期には求心力を失っていた。1911年に清王朝が外国からの借款を受けて全国の鉄道の国有化を宣言すると、当時の民族資本家達はそれに反発。かねてより清王朝打倒を目指していた革命勢力もそれに乗じて、各地で反対運動が勃発した。
清王朝は軍隊を派遣して暴動の鎮圧を試みたが、軍隊もまた清王朝に反旗を翻し、武昌にて蜂起した。この1911年10月10日に発生した武昌蜂起が起因して全国に広がった清王朝打倒の動きこそ辛亥革命である。
辛亥革命の結果として、清王朝は滅亡し、革命指導者の孫文を初代臨時大統領とする中華民国が成立した。現在の台湾における「国慶日」とは、この中華民国成立の引き金となった武昌蜂起を記念する日なのである。
当時、台湾は日本統治下にあった。したがってこの「国慶日」が本来、台湾とは関係がないのは歴史的事実に照らせば明白である。しかし、周知の通り、先の大戦の結果として日本が台湾を放棄し、その後、台湾は中華民国・国民党政府によって占領された。そして今日に至るまで台湾には統治機構としての「中華民国」が依然として存在しており、憲法や暦などは「中華民国」に準じている。
現在、台湾人は実生活の中で抵抗なく「民国」暦を使用しており、最近でも東京オリンピック・パラリンピックなどスポーツの大会では中華民国旗としての「青天白日満地紅旗」を振り、そのフェイスペイントをする若者も少なくない。
一方で、それとは矛盾するような流れが今の台湾にはある。例えば、政治大学選挙研究中心が1992年以来、実施している世論調査「重要政治態度分布趨勢圖」の今年の結果によると、自身を「台湾人」と認識する割合は63.3%を記録した。この割合は調査開始以来、多少の変動はあるものの漸増傾向にあり、2020年の調査では過去最多の64.3%を記録した。一方で自身を「台湾人であり中国人でもある」と認識する割合は31.4%であった。こちらは調査開始以来、多少の変動はあるが漸減傾向にあり、2020年の調査では過去最少の29.9%を記録した。
昨年の結果と比べそれぞれ微減、微増しているものの、長期トレンドとして「台湾人」意識は強まり、逆に「中国人」意識は薄まる一方である。なお自身を「中国人」と認識する割合は92年の25.5%から減少を続け、今年は2.7%を記録し調査開始以来、初めて3%未満となった。
また、9月8日には行政院(内閣に相当)に属する独立機関で2018年に成立した「促進轉型正義委員會(移行期の正義促進委員会)」が中正紀年堂のあり方を見直す構想案を提出した。台北市内に建つ中正紀年堂は、1975年4月15日に逝去したとされる蒋介石を顕彰するため1980年に落成した。広大な敷地にどっしりと構えた中国式の白亜のお堂の中には高さ6.3メートル、台座を含めると9.8メートルに達する威圧的な蒋介石像が安置されている。まさに権威主義体制時代の負の遺産の象徴とも言うべき存在である。
今回の構想案は、単に権威主義の象徴を排除するだけではなく、権威主義の「反省」をし、「歴史を正視」する空間へと改めることが主軸となっている。そして具体的措置として銅像を撤去し、お堂の外観を改め、敷地全体から個人崇拝につながるものを取り除くことが提起された。今後、関連法案や新たな公園整備計画の策定、そして社会との多元的な対話を通じて国民に広く関心を持ってもらうことを目指すという。
「中華民国」的なものを受容あるいはそうせざるを得ない中での民族としての「台湾人」意識の強まりや加速する脱蒋介石の矛盾をどう理解すべきだろうか。
勿論、様々な政治的立場などから多様な解釈や見方はできるだろうし、正解のない問題である。しかし、人々がこの矛盾を受け入れながら、新しい「台湾」のあり方を模索する動きこそ、台湾人の究極の現実主義なのだろう。
近年は上述の中正紀年堂の見直しの動きをはじめ、外来の「中華民国」が台湾を占領したこともまた台湾史の一部として記憶し、教訓としていく未来志向の動きが見られる。今後の「国慶日」の位置付けや「民国」暦、さらには憲法をめぐっても新しい動きが生まれるかもしれない。
過去から現在、そして未来へと続く「過程」を見つめる中で、台湾人はこれから「正解」を創っていくのだろう。
さて、今年の10月10日は民国110年の国慶日である。街中には中華民国旗である「青天白日満地紅旗」がいたるところではためき、小さな「国旗」を手にする市民の姿もちらほら見かけた。「国慶日」は台湾社会の変遷を定点観測できる日でもある。
中華民国は1912年1月1日に南京において成立した。それまで1616年から300年近く広大な中国大陸の地は清王朝が支配下に置いていた。しかし、王朝末期には求心力を失っていた。1911年に清王朝が外国からの借款を受けて全国の鉄道の国有化を宣言すると、当時の民族資本家達はそれに反発。かねてより清王朝打倒を目指していた革命勢力もそれに乗じて、各地で反対運動が勃発した。
清王朝は軍隊を派遣して暴動の鎮圧を試みたが、軍隊もまた清王朝に反旗を翻し、武昌にて蜂起した。この1911年10月10日に発生した武昌蜂起が起因して全国に広がった清王朝打倒の動きこそ辛亥革命である。
辛亥革命の結果として、清王朝は滅亡し、革命指導者の孫文を初代臨時大統領とする中華民国が成立した。現在の台湾における「国慶日」とは、この中華民国成立の引き金となった武昌蜂起を記念する日なのである。
当時、台湾は日本統治下にあった。したがってこの「国慶日」が本来、台湾とは関係がないのは歴史的事実に照らせば明白である。しかし、周知の通り、先の大戦の結果として日本が台湾を放棄し、その後、台湾は中華民国・国民党政府によって占領された。そして今日に至るまで台湾には統治機構としての「中華民国」が依然として存在しており、憲法や暦などは「中華民国」に準じている。
現在、台湾人は実生活の中で抵抗なく「民国」暦を使用しており、最近でも東京オリンピック・パラリンピックなどスポーツの大会では中華民国旗としての「青天白日満地紅旗」を振り、そのフェイスペイントをする若者も少なくない。
一方で、それとは矛盾するような流れが今の台湾にはある。例えば、政治大学選挙研究中心が1992年以来、実施している世論調査「重要政治態度分布趨勢圖」の今年の結果によると、自身を「台湾人」と認識する割合は63.3%を記録した。この割合は調査開始以来、多少の変動はあるものの漸増傾向にあり、2020年の調査では過去最多の64.3%を記録した。一方で自身を「台湾人であり中国人でもある」と認識する割合は31.4%であった。こちらは調査開始以来、多少の変動はあるが漸減傾向にあり、2020年の調査では過去最少の29.9%を記録した。
昨年の結果と比べそれぞれ微減、微増しているものの、長期トレンドとして「台湾人」意識は強まり、逆に「中国人」意識は薄まる一方である。なお自身を「中国人」と認識する割合は92年の25.5%から減少を続け、今年は2.7%を記録し調査開始以来、初めて3%未満となった。
また、9月8日には行政院(内閣に相当)に属する独立機関で2018年に成立した「促進轉型正義委員會(移行期の正義促進委員会)」が中正紀年堂のあり方を見直す構想案を提出した。台北市内に建つ中正紀年堂は、1975年4月15日に逝去したとされる蒋介石を顕彰するため1980年に落成した。広大な敷地にどっしりと構えた中国式の白亜のお堂の中には高さ6.3メートル、台座を含めると9.8メートルに達する威圧的な蒋介石像が安置されている。まさに権威主義体制時代の負の遺産の象徴とも言うべき存在である。
今回の構想案は、単に権威主義の象徴を排除するだけではなく、権威主義の「反省」をし、「歴史を正視」する空間へと改めることが主軸となっている。そして具体的措置として銅像を撤去し、お堂の外観を改め、敷地全体から個人崇拝につながるものを取り除くことが提起された。今後、関連法案や新たな公園整備計画の策定、そして社会との多元的な対話を通じて国民に広く関心を持ってもらうことを目指すという。
「中華民国」的なものを受容あるいはそうせざるを得ない中での民族としての「台湾人」意識の強まりや加速する脱蒋介石の矛盾をどう理解すべきだろうか。
勿論、様々な政治的立場などから多様な解釈や見方はできるだろうし、正解のない問題である。しかし、人々がこの矛盾を受け入れながら、新しい「台湾」のあり方を模索する動きこそ、台湾人の究極の現実主義なのだろう。
近年は上述の中正紀年堂の見直しの動きをはじめ、外来の「中華民国」が台湾を占領したこともまた台湾史の一部として記憶し、教訓としていく未来志向の動きが見られる。今後の「国慶日」の位置付けや「民国」暦、さらには憲法をめぐっても新しい動きが生まれるかもしれない。
過去から現在、そして未来へと続く「過程」を見つめる中で、台湾人はこれから「正解」を創っていくのだろう。
さて、今年の10月10日は民国110年の国慶日である。街中には中華民国旗である「青天白日満地紅旗」がいたるところではためき、小さな「国旗」を手にする市民の姿もちらほら見かけた。「国慶日」は台湾社会の変遷を定点観測できる日でもある。
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